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  • 執筆者の写真性科学Labo

「性教育」は「性器教育」だけではない

更新日:7月31日

性科学Laboでは、性教育に関する事を調査・研究し、家庭内や学校はもちろんのこと、企業などでも一つの「教育または研修」として取り入れて頂くために活動をしています。


ただし、この取り入れて頂く前の「受け入れ態勢」が、ここ日本ではネガティブイメージも強く、また過去の失敗事例ばかりが根強く残り批判的な目で見られていることが多いため、取り入れて頂く前段階で拒否されることが少なくありません。


「性教育」については、近年国内に専門の教育機関等も増えて、その必要性や重要性を謳っていますが、我々も含めて大きな成果が上げられているとは思えないのが現状です。


では、なぜ成果が上げられていないかと調べていくと、この「性教育」についての定義が曖昧であるという事が、一つの仮説として挙げられます。


読者の皆様に「性教育」とは?

このような質問をしたら、まったく同じ答えを言う人はいないと断言できるほどです。


また、「性教育」という単語を言うだけで、恥ずかしさの為か口元がゆるみニヤけてしまう人もいます。

これは間違った理解が表す特徴的な反応です。


表題の通り、「性教育」は「性器教育」ではないのですが、これまでの日本では妊娠するまでの過程を主として取り上げ、性交や性器についての機能を教えられ、思春期の子供たちが「恥ずかしい」と思われるようなことを、段階を経ずにいきなり主題として教えてきました。


当然、妊娠までの過程や、生理について子供達に教えていくのは必要ですが、性科学Laboの見解としては性教育の導入(入口)から間違ってしまっているのではないか?と考えています。


例えば、小学生に算数を教える場合、数え方から教えて足し算、引き算という具合に段階的に教えていくのが当たり前です。


ただ、性教育については、事前の段階を殆ど省いて「性器」の話しをしています。


そして、性教育に関する授業は他の教科に比べて非常に少ないです。

このような現状であるのは、そこに色々と障壁や問題があるのは理解できますが、根本から見直しを図らないと、実状に変化をもたらすことは非常に困難です。


上記の内容から見える問題は、性教育の定義づけがなされていない事と、学校での教育方法(段階的な性教育)、そして文部科学省の理解度(必要性と重要性)、そして目的や目標が不明確であるため、他の教科と比べて優先順位は下がってしまうこともわかります。


これが正しい性教育を教える弊害となっているのであれば、当然家庭内や企業でも積極的に取り組まなければなりません。


なぜなら、性教育とは「命」に関わることだからです。


しっかりと「命」と関連付けられ、多くの人の間に”正しい理解”が生まれれば、性教育の必要性と重要性は必然的に上がります。


そして、目的や目標が明確にあれば、今よりも遥かに個々の問題を解決し成果として直結することは間違いありません。


いつまでも性教育が抱える問題を見過ごしてはいけません。

見過ごすとは、完全な不作為だと考えられます。


これからの未来を希望にあふれたものにする為には、性教育の抱える問題を見過ごすことなく直視して、困難に立ち向かい改善や解決をしていかなければなりません。


「命」大切に!!


性科学Labo 研究チーム





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